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粒うに発祥の地下関の歴史

≪瓶詰めのうに誕生の話、
         その後今に至るまでの歴史≫

●貝塚の話

下関に面する日本海は、岩場、転石が多く、海藻が豊 富な為、
ウニの生息に大変適しており、良質のウニがとれます。

このため下関では古くから、ウニは生食され、ウニの加工技術も進んでいました。


富任町の潮待貝塚(しおまちかいづか)からは
約5000年前のウニのとげが発見されています。

⇒下関市の潮待貝塚からは縄文時代のウニの化石が発見されています。


●うに献上の話

山口県では、江戸時代、文化・文政の頃、
下関市西方の玄界灘に浮かぶ六連島から長府藩に、
また嘉永年間には豊北町和久地区から萩藩に
うにを献上したという記録が残っているそうです。

⇒山口県では江戸時代、長府藩や萩藩に
うにを献上したという記録が残っているそうです。


● アルコール漬け瓶詰め粒うに誕生の話

明治初期、六連島に灯台が設置され、外国船が沢山出入りするようになりました。
ある日西教寺の蓬山和尚が、外国人の水先案内人と歓談中、

杯につごうとしたお 酒(ジン)が、誤って生うにの小鉢にこぼれてしましました。

和尚がそのウニを食べるととてもおいしくなっていました。それを研究し、アルコール漬けに改良 しました。

瓶詰めの粒うにの誕生です。

⇒明治初期、響灘の六連島での酒席で、ウニの小鉢に誤ってジンがこぼれ、それが美味しかったことから加工技術が開発 されました。


●伏線

前田砲台世界遺産候補の話

下関市前田町にある前田砲台跡は、「1872年の下関戦争の砲台跡」として、
「九州・山口の近代化産業遺産群」の中の、
「積極的な技術導入を示す遺跡群』の1つに位置づけられています。


そしてその下関戦争の賠償金に関連する灯台の 1つとして、
「六連島灯台(日本で最古の洋式灯台)」が建てられ、

「下関のアルコール漬け粒うに発祥の伝説」が生まれました。


賠償金の交渉の席についた高杉晋作先生が、
灯台建設の条件を承諾しなければ、
下関のアルコール漬け瓶詰め粒うに発祥の伝説は
生まれなかったのかもしれません。



●地域団体商標に登録

平成19年3月には下関市及び北浦地区で製造された
加工うにが「下関うに」「北浦うに」として地域団体商標に登録されました。

『雲丹』〜稀代の食通 吉田健一は生よりもむしろ瓶詰めを好んだ

こんにちは!うに姫です!

資料を整理していたら、とっても素敵な記事が
あったので、こちらで紹介させていただきます。

1995年第7号サライ「正統派」酒の肴特集 より

サライ

稀代の食通・吉田健一は生よりも瓶詰めを好んだ

『雲丹』

 雲丹は江戸時代には唐墨(からすみ)、コノワタとともに
三大珍味といわれていた。

また、雲丹の古称は「かせ」というが、奈良時代の民謡を基にした雅楽の歌曲「催馬楽(さいばら)」に

<御肴(みさかな)になによけむ鮑栄螺(あわびさだお)か石陰子(かせ)よけむ>

とあることからも、雲丹は古くから酒の肴として好まれていたことがわかる。


雲丹の名産地に旅に出て、その土地でとれた新鮮な生のものを食べられれば、それはもちろんいいのだが、日々の晩酌の肴となるとそうもいくまい。

そんな折には、吉田健一が推奨する山口県下関の瓶詰め雲丹を試したい。

吉田は『私の食物誌』の中にこう綴っている。

《旨い雲丹ならば生で食べるのが一番いい訳ではあるが、それでは保存が利かないといふこととは別に保存の為に雲丹に加工すると又違つた味が出て来てそれ自体に何か捨て難いものがある・・・(略)・・・壜詰めと生のものを比べてどつちが旨いかといふのは面倒な問題であるが、一般の場合と違って雲丹は壜詰めの方がその味や匂ひが言はばもつと強くなってゐるびが豚とハムの関係に似たものがそこにあるのかもしれない》

 つまりは、本当に旨い瓶詰めの雲丹は生のものにも優り得ると、吉田は言うのだ。

そんな瓶詰めの雲丹を肴に酒を酌み、産地の風土に思いを馳せれば、そこに居ながらにして旅の楽しささえもこみ上げてくる。

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